第9章 アイドルレポーターの決意
 
 ATプロモーションの入っているビルは、その全体がATプロモーション社長Alfred Tyler氏の所有である。その20階、
最上階のフロア全てを占めるのが彼のオフィスだ。
「ミツコさん、この状況、あまりよろしくないですね。」
 人懐っこい顔のTyler社長は、いつもと変わらない陽気な口調で声をかけた。少し外国人特有のイントネーションはあ
るものの、流暢な日本語だ。
「申し訳ございません。」
 マホガニーの重厚な机をはさんで、直立不動の姿勢で立っていた池尻美津子が深々と頭を下げた。彼女は、足に履
いたパンプス以外は一糸まとわぬ姿になっており、直角に曲がるお辞儀にあわせて、成熟した胸の膨らみが、床に向
かって釣り鐘型に垂れ下がるのが見えた。下腹部の黒々した恥毛も社長の前に露わにしている。ATプロモーションで
は、社長から直々に注意や叱責を受ける時、女子社員は更衣室で着ている物を全て脱いで、最上階の社長室まで上
がって来なければならない。
「あなたの戦略ミス、違いますか?」
 社長の声はいつもと変わらない。しかし、美津子がチラリと盗み見た丸眼鏡の奥の目は厳しい光を宿している。社長
は仕事には厳しい男なのだ。
「お…、おっしゃるとおりです…」
 美津子のキリッとした美貌が強張り、声も震えている。
 汐理をATVの山本プロデューサーに売り込んで、「とっておきセレクション」に出演させ、続いてメイン・パーソナリティ
ーに抜擢させたところまでは順調だった。そして、汐理は初仕事にもかかわらず、周囲の期待以上に情報番組のパー
ソナリティとしての役割を果たした。
 しかし、かえってそれが良くなかったのかもしれない。彼女がメイン・パーソナリティになってから、「とっておき…」の視
聴率が下がってしまったのである。こうなってみてわかったことだが、この番組はそれまでメイン・パーソナリティをつと
めていたモデルでエッセイストの神崎亜弓ならではの、お洒落でカルく、コケティッシュな魅力に支えられていた番組で
あり、知的で上品な汐理のキャラクターは、これまでの番組のファンに受け入れられなかったのだ。
「ちょっと方針、立て直す必要がありますね。」
「はい、かしこまりました…」
 美津子は少しかすれた声で返事をした。入社当時を別にすれば、これまで全裸で社長の前に立たされることはなか
った美津子だ。裸になっているという羞恥心以上に、仕事の不出来を指摘された屈辱が彼女の頬を赤くし、声を震えさ
せる。
「あなたには、これまでの実績もありますから。期待してますよ。」
 社長はニッコリと笑いながら、顎をしゃくり出口のドアを示した。
 硬い表情で再び深くお辞儀をして、美津子は全裸のまま社長室を後にした。ATプロモーションきってのやり手マネー
ジャーと言われたプライドが深く傷ついていた。
「よお、お美津さん。めずらしく、社長に呼び出しを食らっちまったようだな。」
 更衣室でモスグリーンのスーツを身につけ、事務所に戻ると、炭谷猛郎が声をかけてきた。担当している火山朱美
が、デビュー以来順調に人気が出ていることから、最近、ATプロモーションの中でも肩で風を切って歩いている。
 美津子は炭谷の得意げな表情を見て、露骨に顔をしかめて見せた。彼女が無視する姿勢を見せているのをわかりな
がら、炭谷はなおも話しかけてくる。
「まあ、力を落とすなって。汐理も悪くなんだけど、『おっとりしたお嬢様』っていうのは、今の流行じゃないからな。」
 炭谷の口調は慰めているというよりは、あきらかに優越感が見え見えの様子だった。マネージャーとしての実績は、こ
れまでは常に美津子の方が一歩リードしてきたのだ。それだけに、炭谷は有頂天になっている。
「でも、どっちもスター・ハント21の準グランプリだ。本人同士も仲がいいんだし、うちの朱美のためにも、がんばって売
り出してやってくれよ。」
 ニヤニヤ笑いながらそう言う炭谷に、美津子は、「どうも」とだけ声をかけ、足早に事務所を出た。
「負けないわ…」
 エレベーターの前に立つ美津子は、唇を噛みしめてつぶやいた。
 
 調整室に池尻美津子が入ってきた。ATVの第5スタジオは、ちょうど「とっておきセレクション」の収録中である。
「…こういう時代だからこそ、人の立場に立って考えることが大切です。想像力を持つって、そういうことだと思いません
か?」
 モニター画面でアップになった汐理が言った。しっかりした口調、でも押しつけがましくなく、優しく耳と心に届く感じが
する。それは、清楚なルックスのおかげだろうか、柔らかな声の響きのせいだろうか、それとももっと彼女の内面から出
てくるものなのだろうか。
「いいだろ。今時の子で、こんなにきちんと時事問題にコメントできる子、いなんだけどな。」
 ポツリと呟くようにそう言うと、プロデューサーの山本は美津子の方を向いて言葉を続けた。
「でも、ダメなんだよ。きっと流行じゃないんだね。『とっておき…』、来月いっぱいで打ち切りになることが正式に決まっ
たよ。」
「そう…」
 個人的にも汐理に入れ込んでいた山本は、心底残念な様子である。
「それでね、山ちゃん、ちょっと相談があるの。」
 そう言いながら、美津子は山本の肩に手を置いた。
「とっておきセレクション。パーソナリティは水沢汐理でした。」
 汐理の声にかぶって、番組のエンディングテーマが流れ始めた。
 
「お疲れさま。」
 楽屋に戻ってきた汐理に美津子が声をかけた。汐理も既に番組打ち切りの話を聞かされているせいか、どことなく元
気がない。
「心配しないで、汐理。私、さっそく新しい仕事を取ってきたんだから。」
「ホント?ありがとう、美津子さん。」
 汐理が顔を輝かせたのを見て、美津子は逆に顔を曇らせた。汐理が心配そうに尋ねる。
「どうしたの?」
「パーツモデルって、知ってる?」
「パーツモデル?」
 唐突に言われて、汐理は小首を傾げた。そういう仕草が、たまらなく可愛い。
「そう、部分モデルとも呼ばれているんだけど、『手だけ』のモデルさんとか、『足だけ』のモデルさんの事よ。石鹸なんか
のCMで手だけ映るCMとか、あるでしょう。ああいう仕事よ。」
「じゃあ、次の仕事って…」
「ごめんね、そうなの。パーツモデルの仕事なの。きちんとあなたを売り込む仕事を取らなきゃいけないんだけど。でも、
こうした仕事を積み重ねる中で、コネクションもできていくし…」
 美津子が必死で釈明しようとしている様子を見て、汐理は明るく微笑んだ。
「私、がんばります。」
「そう、ありがとう。」
 美津子も汐理の顔を見てニッコリ笑った。
「このブラジャーのCMなのよ。ちょっと見てくれる。」
 そう言いながら、美津子が封筒から取り出した中には、コマーシャルの企画書が入っていた。企画書に目を通してい
た汐理がハッと顔を上げて、美津子の顔を見た。
「このコンテ…」
「ええそうよ。バストのパーツモデルなのよ。」
 汐理は顔から血の気が引いていくような気がした。企画書につけられた絵コンテには乳房のアップが描かれていた。
美津子の最初の説明を聞いて、なんとなく手のパーツモデルだと思っていたのだが、バストのパーツモデルなんてとん
でもない話だ。
「撮影スタッフは女性ばかりだし、顔は映らないから、誰のバストかなんてわからないわ。」
 美津子はそう言うが、テレビで自分の乳房が放映されるなんて、想像しただけで恥ずかしくて、とても汐理にはできそ
うになかった。
「お願いです。この仕事、キャンセルしてください。」
 汐理は、何度も何度も美津子に頼み込む。最後には、美津子もあきらめた様子で言った。
「…しかたないわね。あなたがそんなに嫌がることは、させられないもの…」
 
 その直後、美津子は新しい仕事を取ってきた。それは、全国各地の温泉を新人アイドルたちが紹介するというATVの
特別番組だった。
「これで上手く行けば、『地球おもしろ発掘記』のレポーターがとれそうなの。がんばってね。」
 「地球おもしろ発掘記」は、ゴールデンアワーに放映されている海外ルポを交えたクイズ番組で、放映開始以来2年
間、常に高い視聴率を誇っている。汐理も好きで、良く見ている番組だ。
「はい。一生懸命、がんばります。」
 汐理は張り切って答えた。パーツモデルの仕事を断った後だけに、美津子の努力に応えるためにも、なんとかしてこ
の仕事を成功させようと強く心に誓ったのだ。
 
 撮影現場は、山梨県のとある温泉地の露天風呂。少し交通の便は悪いが、その分、秘湯気分が味わえるスポット
だ。
「このバスタオルを巻いて撮影しますから、あのバンの中で着替えてきてください。」
 スタッフに渡されたタオルを持って、更衣室がわりになっているバンに入った汐理だったが、いざ服を脱ぎ、ブラジャー
を外して身体に巻いてみると、普通のバスタオルよりもずいぶん小さい。なんとか乳首を隠すことができる位置で上を
止めても、下はビキニラインギリギリまでしかなかった。しかも意外に生地が薄く、温泉に浸かって濡れると透けてしま
いそうだ。
「あの…、もっと大きなタオルありませんか。」
「どうしたの?」
 汐理の声に応えてバンの前までやってきた美津子は、タオルを巻いた汐理の姿を見ると、慌てて外に出ていった。続
いて、美津子がスタッフと交渉している声が聞こえる。
「…じゃあ、せめて、この下に目立たない水着か何かを着せてもらえませんか。」
「ダメですよ。そんなことしたら温泉のムードが出ないじゃあありませんか。ちゃんと裸になってタオルを巻いて下さい
よ。」
 その声を聞きながら、汐理は胸の鼓動が激しくなるのを感じていた。
 しばらくして、美津子が女性スタッフ数人と一緒にやってきた。汐理は胸の膨らみを全部隠すようにタオルを巻いてい
たため、白い清楚なパンティが完全に見えてしまっている。
「ホントだ!」
「申し訳ありません。どうも手違いがあったようで…」
「でも、他にタオルも何も持ってきていないんですよ。」
 そう言いながら、スタッフ達は困った表情を浮かべるばかりだった。
「おい、何してるんだ。生放送なんだぞ。もうすぐ本番だぞ!」
 そう言いながら、ディレクターがバンの所に怒鳴り込んできた。汐理はとっさに両手で身体を隠す。
「ここまできちまったんだ。持ってきたタオルでやるしかないだろ!」
 スタッフから事情説明を受けたディレクターは、怒ったようにそう言うだけだった。このままでは、半裸で撮影をしなけ
ればならないと思った汐理は、意を決してディレクターに直訴した。
「あの…浴衣じゃあだめですか…」
 汐理は今にも泣き出しそうな顔でディレクターを見ている。
「ちぇっ、しょうがないなぁ…」
 そう言いながら、ディレクターはしぶしぶ了解した。
 ほっと一息つき、浴衣を着ようとして、ふと見ると、今まで着ていた服がなかった。ブラウスやスカートはもちろん、シャ
ツもブラジャーも姿を消している。下着の上から浴衣を着ようと思っていた汐理はあせって、必死で周りを捜した。
「間もなく本番ですよ。」
「さあ、汐理ちゃん、急いで!」
 スタッフに口々にせかされた汐理は、仕方なく、パンティ一枚だけ履いた上から浴衣を着て、外に飛び出した。
 そして、撮影が始まった。
「ここは、豊臣秀吉が愛した湯治場だったということで…」
 汐理は温泉の由来を説明をしながら、露天風呂の周りにある洗い場を歩き始めた。
 2、3歩あるいた時、ふいに何か紐のような物が足にひっかかり、汐理の身体の重心がふらついた。ただでさえ滑りや
すくなっている洗い場の床が滑り、態勢を崩した汐理は、その場で派手に転んでしまった。
 はだけた浴衣の裾から白いパンティが、胸元からは柔らかな白い膨らみがチラリとのぞいている。その様子をテレビ
カメラがしっかりととらえた。そこは生放送の恐ろしさ、その様子はあますところなく、全国放映されてしまった。
 慌てて浴衣を直して立ち上がった汐理は、顔が耳まで真っ赤になっている。
 その後はもうさんざんだった。動揺しきった汐理は今にも泣きべそをかきそうな顔で、満足に台詞も言えないまま時間
だけが過ぎ、そして、放映が終了した。
 
 現場から帰る車の中、汐理はすっかり落ち込んでいた。恥ずかしい姿を全国ネットで放送されたことも大きなショック
だったが、それ以上に、せっかく仕事を取ってきてくれた美津子に申し訳ないという思いでいっぱいだった。
「どうしようかしら…」
 その美津子の方も、汐理の横で頭を抱えて座っていた。汐理が足にひっかけたのはマイクのシールドケーブルだった
が、誰がそこにケーブルを引いたのかは結局わからなかった。その中で、汐理が失敗したという事実だけが、冷やや
かな空気となってスタッフたちの間に流れたのだ。次の仕事の段取りをどうつけようか悩んでいるのだろう。
 しばらくうつむいていた汐理が、ふいに顔をあげて言った。
「美津子さん、私、一度だけだったら、下着のCMやっていいです…」
 美津子が驚いた顔で汐理を見つめる。汐理は思い詰めた顔をしていた。
「ホント、本当にいいのね?」
「はい…」
 汐理は小さな声で返事をすると、コクンとうなずいた。
 


 
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