聖処女真璃亜1 好色と覚醒のエチュード
 
第3章 黄金の箱
 
 眠らない街、新宿歌舞伎町にサイレンの音が響く。
 風俗関係や居酒屋、スナック、カラオケ店などが入った雑居ビルがビッシリと立ち並ぶ一角に、すでにパトカーが数台
止まり、制服の警官が交通整理をしていた。そこへ、シルバーのボディに赤色灯をつけた覆面パトカーが停車し、ダー
クグリーンのスーツに身を包んだ女性刑事が颯爽と下りてくる。
 大内恵理、三十一歳。東大を卒業し、国家公務員T種試験をパスして警察官になった、いわゆるキャリア組だ。地方
の警察署の署長クラスでに当たる警視の階級にありながら、官僚機構に入るより捜査を担当したいとの本人の強い希
望で、警視庁の捜査一課に配属されている。第一印象は、刑事というよりは、才色兼備のキャリアウーマンというイメー
ジだ。すっきりした端正な顔立ちの美女で、長い睫毛に縁取られた鳶色の瞳は大きく円らだが、意志の強そうな視線は
「可愛い」と表現するのをためらわせる。
「早かったですね、警視。」
 出迎えたのは、有馬岩雄。四十歳台半ばの、ギョロッとした大きな目にスキンヘッドが印象的な、ガッシリした体つき
の刑事だ。たたき上げで警部補になり、恵理の班で捜査を担当するようになって半年になるが、年下の女性上司をあ
などることなく、実直に恵理をサポートしてくれる心強い存在である。
「現場を見せて。」
 恵理は明瞭な発音の落ち着いた声でそう言い、有馬は彼女を案内してエレベーターに乗り込んだ。狭いエレベーター
はビルの五階で止まり、二人は犯行の舞台となったファッションヘルス店に入る。
 二人の刑事は、店の前で、とんだ厄介ごとに巻き込まれたとばかりに憮然としている店長に声をかけると、そのまま
現場となった部屋に入っていく。
 ヘルス嬢たちがお客にサービスをする部屋の、ダブルベッドの上に被害者の遺体はあった。
「ちょっと、凄いわね…」
 思わずそう呟いて、恵理は眉を寄せる。ムッとする血の臭いが彼女の鼻孔をついた。
 全裸で大の字になった被害者の腹から太股にかけて血がベットリとつき、シーツが真っ赤に染まっている。そこを中
心として、部屋中に血が飛び散っていた。
 無惨な死体を目にしながら、ふと恵理は小さな違和感を覚える。それが何か掴めないまま死体に見入っている彼女
に、有馬がこれまでの捜査状況を報告し始めた。
「被害者は江崎朋子、二十六歳。この店のヘルス嬢で、源氏名は『美帆』と言います。死亡推定時刻は午前零時から
午前一時の間です。客とのプレイ中に、その客に殺されたと考えられます。最後に相手をした客は、サラリーマン風の
太った中年男だったそうです。時間オーバーになっても、彼女も客もなかなか出てこないので、マネージャーが様子を
見に行ったところ、死体を発見したというわけです。」
「そう…」
 有馬の報告を聞きながら、恵理の視線は遺体の下腹部に釘付けになっていた。臍から性器にかけて、血塗れになっ
た肌が縦に裂け、ところどころ赤い肉色が覗いている。刃物で切ったというよりは、力ずくで引き裂いたように見えるそ
れは、あまりに惨い傷口だ。
「死因は?」
「内蔵破裂による出血多量で、ショック死したようですね。」
 ということは、被害者は生きたまま腹を割かれて死んだことになる。恵理は思わず両手を前に組んで、薄ら寒そうに
自分の腕を抱いた。
 こうした猟奇的な殺人や無差別殺人、動機がはっきりしない殺人がこれほど目立つようになったのはいつからだろ
う。捜査一課の刑事をやっていて、痴情怨恨、金目当てなどの「わかりやすい動機」にぶつかると妙にホッとしてしまう。
そんな時代に、恵理は刑事をやっているのだ。
「酷いでしょう。性器に異物を突っ込まれ、その突っ込んだ異物がどんどん膨張して、とうとう下腹部の肉と皮ごと子宮
を破裂させてしまってるらしいんですよ。」
 有馬は吐き捨てるように言った。
「でも、お腹の筋肉もいっしょに裂いてしまうというのは、相当な力がいるわね。」
「そうですね。頑丈な風船みたいな物を入れて膨らませるにしても、機械でも使って圧力をかけて空気を入れないとい
かんでしょうな。」
「酷いわね…」
 恵理は眉を曇らせたが、ふと、最初に死体を見た時から感じていた違和感の正体に気がつき、その質問を口にし
た。
「ところで、ガイシャは、何かクスリをやってたの?」
「いいえ、今のところ、薬物の反応は出ていません。」
「そう…」
 恵理は首をひねった。これだけ凄まじい死に方をしているというのに、被害者の表情には苦痛や恐怖とはほど遠い、
むしろこの上ない快楽に身を委ねるような、恍惚とした表情が浮かんでいるのだ。
 
 新宿は間もなく夜明けを迎えようとしていた。店から出される生ゴミを目当てに、気の早いカラスがカアカアと鳴き声を
あげて、群れている。濃い紫色に変わりつつある空を、一回り大きなカラスが一羽飛んできた。そのカラスがガードレー
ルに降りてくると、先にいたカラス達は、まるで王が飛来したかのように一斉に頭を垂れる。
 不夜城の活気は幾分衰えたものの、こんな時間でも営業している店は少なくない。そんな店の一つ、あるショットバー
で、明日茂大は一人、酔うことで何かから逃れようとするかのように、ウイスキーのグラスを重ねていた。
 聖羅と思う存分セックスしても、性欲がおさまらない、さすがにこれ以上相手をさせると少女が壊れてしまうとの理性
が働いて、聖羅を家に帰し、風俗店に出かけたのは午後八時頃だった。それから、風俗店をハシゴしたのだが、遊べ
ば遊ぶほど、むしろ性欲は募り、飢え乾いたように女の身体が欲しくなった。それと同時に、だんだん、自分の行動が
自分のものではなく、風俗嬢の奉仕を貪る自分を、本当の自分が少し離れた場所から見ているような感覚が襲うように
なった。
 最後に、雑誌で見たファッションヘルスの店に入り、美帆と名乗るヘルス嬢を指名した時には、もはや自分がとってい
るはずの行動を、映画化か何かでも見ているように遠く感じるようになった。
 そして、淫らで、妖しく、悪夢のような体験…。
「俺は、何をしたんだろう…」
 そう呟いた明日茂の耳に、地の底から響くような声が聞こえた。
「夢を見せてやろう。至上の快楽を…」
 幾度となく耳鳴りのように響く声を振り払おうとしたその時、強烈な吐き気が明日茂を襲った。
 ガチャン!!
 明日茂は突然立ち上がり、隣のカウンター席で飲んでいた数人のヤクザ風の男たちの所にツカツカと近づくと、いき
なり、男たちが食べていた魚料理の皿をたたき落とした。皿は床に落ちて割れ、丸ごと焼いた魚が店の出入口近くまで
飛んでいく。
「こいつ、何をしやがる!」
 柄物のシャツをだらしなく身につけた、一番若い、いかにもチンピラといったヤクザがいきり立って、語気鋭く明日茂を
怒鳴りつけた。しかし、彼は怖じ気づくどころか、まったく無表情のまま、虚ろな視線をチンピラに向けて、低い声で呟い
た。
「夢を見せてやろう。至上の快楽を…」
「なんだと、何を寝ぼけたことを言ってやがる!」
 チンピラが明日茂の襟首を掴み、殴りかかろうとしたその瞬間。
「うっ!」
 急にチンピラは床に崩れるように膝を突き、自らの股間を押さえて苦しげな呻き声をあげ始めた。ズボンに小便でも
漏らしたかのような染みがみるみるうちに広がっていく。その中では、陰茎が狂ったように精汁を発射し続けているの
だ。栗の花を思わせる青臭い臭いがあたりに広がっていく。
「おい、ヤス、どうした!」
 白いスーツを着た兄貴分らしき男が声をかけて近づいて来たが、「あっ!」と驚きの声を上げたまま、息を飲んで立ち
つくす。ヤスと呼ばれた男の肌がみるみるうちに艶を失い、萎びていくのだ。もはや、その顔は老人のように見しか見え
ない。
 仲間のあまりに異様な姿に、他のヤクザは凍りついたように動きを止める。その間に、明日茂は悠然と店から出てい
った。
 
「きれいね。」
「ほんと、素敵だわ…」
 母と娘は、感嘆の声をもらしながら、ガラスケースの中で輝く黄金の箱に見入っていた。土曜日の朝、予定どおり真璃
亜は、杏奈と一緒に父の研究室を訪れ、メソポタミアの箱を見せてもらっていた。
 箱は三十センチ四方の大きさで、四つの側面に天使のような、羽のある人の姿が彫られ、くさび形文字が刻み込ま
れている。箱の内側には半球形の七つのくぼみがあった。そこには、宝玉か何かが入っていたのだろうか。
「この横のケースに入っているのが蓋なの?割れてるなんて、残念だわ。」
 真璃亜がそう言うと、章人はガラスケースを開け、作業用の手袋をはめながら答えた。
「そうだ。これを復元するのが、当座のお父さんの仕事だよ。」
 そう言いながら、章人は慎重な手つきで破片を手に取って、そっと組み合わせてみせた。
「残念なことに、少しかけている部分があって、完全には復元できないんだ。」
「お父さん、箱の下に何か落ちてるみたいだけど、これ、関係ないの?」
「えっ?」
 怪訝そうな顔で、真璃亜が指さすガラスケースの中を見た章人の表情が、みるみるうちに変わっていった。
「これは、どうして、ここに…」
 そう呟くと、興奮を隠しきれない様子で、箱の下の金の破片を取りだし、蓋の欠けている部分にはめ込んでみる。
「いけない!」
 いきなり一人の少女が、研究室に飛び込んできて、叫び声をあげた。
 同時に、欠けるところなく組み合わされた蓋が、シューシューと音を立てて白い煙を吹き出した。
「ああっ!」
 そう叫び声をあげた章人を白い煙が包み込む。
「あなた!」
 そう叫んで章人に駆け寄った杏奈も、白い煙に包まれる。
「お父さん、お母さん!」
 両親に駆け寄ろうとした真璃亜の肩を、叫び声を上げて飛び込んできた少女が掴んで、ぐいと後ろに引っ張った。真
璃亜が振り返ると、そこに立っていたのは、統智百合だった。
「百合さん!」
「ダメよ、近づいちゃ。」
「でも、お父さんとお母さんが!」
 金切り声を上げる真璃亜を背後に押しやった百合は、ポケットから何かを取り出した。
 それは、箱と同じく金色に輝く十字架だった。百合は、口の中で何か呪文のようなものを唱え、十字架を振りかざす。
途端に、真璃亜の両親を包んでいた煙は黄金の箱の中に吸い込まれるように消えていった。
「お父さん、お母さん!」
 両親を呼ぶ真璃亜の声が、悲鳴に変わる。煙が消えた所に立っていたのは、二つの白っぽい半透明の物体だった。
近寄って見ると、それは、両親の姿をガラスに刻んだ像のようだった。
「あああ…」
 何が起きたのか理解できない真璃亜は、声を失ってガクガク震える。
「結界を張ろうと思っていたのに…、来るのが遅かったか…。」
 悔やむように言う百合の声を聞きとがめた真璃亜が、百合に向き直る。
「あなた、どうしてここにいるの?何か知ってるの!」
「あなたのお父さんとお母さんは、塩の柱になってしまったの。これは…。」
 怪訝そうな顔をする真璃亜に、百合は必死に説明しようとする。しかし、すっかり気が動転した真璃亜の耳にはまった
く届かない。
「塩?あなた、何を言ってるの?どうかしてるんじゃない?」
「ねえ、落ち着いて、私の言うことを聞いて。あなたに力を貸して欲しいの。」
 今や、不合理な出来事に対する怒りをぶつける相手を見い出した真璃亜は、百合に対して声を荒げて迫る。
「力を貸せって、どういうことよ。そんなことより、お父さん、お母さんを元に戻してよ!」
「ダメ、私にはその力がないのよ。あなたにしか…」
 クールな美貌を見せていた百合の顔に、悲しげな表情が浮かぶ。
「出ていって!ここから出ていってよ!」
「ねえ、真璃亜、私の話を聞いて!」
 懇願しながら近づいてくる百合を振り切ると、真璃亜はイヤイヤするように首を振って、泣きながら研究室を飛び出し
た。
 真璃亜は必死で走った。何も考えられず、真っ白になった頭に恐怖だけが渦巻き、とにかくその場から逃げ出したか
ったからだ。
 息が切れ、少し落ち着いてくると、今度は、今見たものは全て夢か幻で、家に帰れば何事もなく、父と母がそこにいる
のではないかという考えが頭に浮かんだ。そこで、自宅に帰ってみたのだが、家の中はガランとしており、寂しさと恐怖
が増すばかりだった。再び外へ出た真璃亜は、夢なら醒めて欲しいと心から願いながら、あてもなく歩き続ける。
「ここは?」
 ふと気が付くと、見慣れた風景にぶつかった「純心学院高等学校」という真鍮の看板。どこをどう走ってきたのか記憶
がなかったが、いつの間にか、真璃亜は自分が通う学校の前まで来ていたのだ。
「そうだ、聖羅ちゃんとの約束…」
 そう言うと、真璃亜はふらふらとした足取りで、学校の門をくぐった。
 


 
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